「土」に教わった大切なこと!裏庭の小宇宙にて

土の話をする。

我が家ではここ数年、家庭から出た生ごみを裏のちょっとしたスペースに埋めている。果物の皮・魚の骨・お茶の葉・トーモロコシの芯・貝、などなど「生ごみ」と称されるものは全て埋める。

決して広いスペースとはいえないウチの裏庭。生ごみスペースは横1.5m・縦1m・深さ50cmくらいだ。このスペースを上手に使いまわすことで1世帯の生ごみは処理できる。

僕はこの「土」と「生ごみ」から本当に大切なことを教わった。シンプルで、当たり前のことだが現代人が忘れがちな大切なことを。

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生ごみをぶち込み続けることで土が変化しやがった!

生ごみを埋め始めたきっかけは特に覚えていない。なんとなく埋め始めた。工事用に入れられた土なのだろうか?もとは薄い黄土色をしていた。公園の砂場とまではいかないが、かなりそれに近い感じの土だった。

この狭いスペースをぐるぐると順繰りに掘っては埋める。一度埋めた場所は数週間後に再び掘り起こされ、新たに生ごみをぶち込む。1周するのに3週間~1ヶ月程度だ。

このサイクルを何回くらい重ねた頃だろうか?土の色が変わり始めたことに気が付いた。だんだんと色が濃く、黒みがかった土になり始めたのだ。工事現場の土砂のように無愛想な土ではなく、生きた土に変わってきた。

土の変化を見つけてなんとなく嬉しくなる。

なんかいろいろ営み始めやがった!

気が付いた変化はそれだけではない。その年の梅雨の時期にはミミズさんがウニウニと這う姿が頻繁に目撃された。ミミズさんはかなりの大所帯で、かつ腹ペコなのだろうか?生ごみ処理のスピードを早めた。お腹いっぱいになったろうか?

今度は蟻さんが移住してきて、汗をかきかきせっせと働く姿が確認されるようになった。埋めたゴミを掘り起こした時に、すべての生ごみが完全に土に戻っているわけではない。何やら黒ずんだ有機物の塊のようで、微妙に原型をとどめている生ごみもある。そういった残飯をせっせと運んでおるのだろうか?あるいは新たに埋めた生ごみを、土の隙間からせっせと発掘しているのかもしれない。

しばらくすると名前も分からない、足がたくさんある虫もうろつき始めた。こんなやつだ。
ヘタクソですまないm(__)m

足たくさんの虫

あとはダンゴムシも。こんなやつだ。これは知ってるか。
ヘタクソですまないm(__)m

ダンゴムシ

土を掘り返した拍子に裏返ったダンゴムシが、たくさんある足をバタバタと慌ただしく動かし、必死にもとの体制に戻ろうとするのを見ると、表情が無いのもありなんとなくシュールで可愛く思われたりする。

あるときに、5cm四方の木片を掘り起こしたらダンゴムシの子供だろうか、2mmくらいの小さいのが沢山へばりついており、掘り起こされ大パニックになっていた。

「きゃぁ~~!わぁ~~!」と聞こえてきそうなその慌て振りを見て、あららごめんねと思う。蜘蛛の子を散らすという表現がぴったりだった。おそらく彼らの住処だったのだろう。そのまま土の上に木片を置いておくと、なんと蟻さんに全て担ぎ出されていた。食われるのだろう。ごめんねダンゴムシの子どもたち。

とにかく、いまやこれら以外にも色々な種類の虫がウチの裏庭で生を営んでおるようだ。名前の分からない羽の生えた虫もいる、ハエもたまに遊びに来る。

しばらくするとこれらを捕食する虫たちも確認される。蜘蛛さんがいい例だ。

土の中に僕たちが「ゴミ」と呼ぶ有機物をぶち込むだけで、土が肥え、生命が集まり、小さなスペースに新しく宇宙が出来上がったように思える。もちろんビッグバンは生ごみである。

土はなんでも許してくれる!でも絶対に許さないものがある!

こうなってくると僕は楽しくて仕方がなくなった。いつからか生ごみ以外の物も一緒に土にぶち込み始めた。

蔓のような植物で編まれた籠が古くなって物置で朽ちているのを発見した。底が腐ってもう使えない。端の方からポキポキと折ってバラしては少しずつ土の中に放り込んだ。しばらくして籠は土になった。

庭木が伸びて、お隣さんの庭にまで枝が侵入し始めるとそれらを手入れする。そのときに出た枝葉を集め、それなりの大きさに切って土に放り込んだ。枝葉は土になった。

その他に色々とぶち込んでみたが、大抵のものはしっかりと土になった。土の中の微生物やミミズなどの生計を立てるために役立ったのだと思う。

そう、土はなんでも許してくれる。エゴの塊のような人間が出した「生ごみ」を全て元通りのサイクルへと戻してくれる。自然とはなんと闊達なもんだろうかと感銘を受ける。でも土や虫たち、つまり自然の住民たちが決して受け入れないものがある。

それは

プラスティックだ!

生ごみに紛れて、プラスティック製の袋(辛子やマヨネーズなどを小分けにした袋だろうね)が紛れ込む事がある。このプラスティックだけは絶対に土も許容しない。

土を掘ったり埋めたりするサイクルを何周しようが、プラスティックだけは綺麗なまま姿を表す。どうやら石油製品は受け付けないようだ。効率と便利さを求める人間が加工したプラスティックは自然には受け入れられない。

そしてこんなことを考えた!少しだけ・・・ほんの少しだけ戻ればいい

自然は寛容だ。人間が出す少々の汚れを許し、もとのサイクルへと戻してくれる。電気とネット回線を引っ張っり、小さな箱の前で何やら暗号じみたものと向き合うことで飯の種を得る、そんな毎日を過ごしていると、こういうことを忘れがちになる。

僕たちはいつの間にか自然を利用することに長け、便利さと快適さの中で過ごすことが当たり前になった。

ふとした行動と小さなスペースから垣間見た自然の営み。ほんの少し前まで、僕たちも自然とともに暮らしそのサイクルの中で生かされていると自覚していたはずだ。

そんな地球に生まれ、生きる生物にとって当たり前のルールから逃れようとしてまで便利さは必要なのだろうか?

人間の脳みそがもたらした技術や、その恩恵を否定するつもりもない。ただ、人間として、つまり自然のサイクルに生かされている生命体として、自然に対する感謝や畏敬の念を決して忘れてはいけない。

優しく、柔らかいイメージとともに「エコ」や「ロハス」などといった言葉が飛び交い始めて何年かが経った。これらの抽象化された言葉は社会全体に受け入れられ始め、市民権を得たといえる。何やらモヤモヤとした形のない欲求を満たすためにこれらの言葉がもて囃されているような気がする。

しかし、我が家の裏庭にできた小宇宙を見ていて思う。僕たちにそのような新しい概念は必要無いのではないか?僕たちはただ、戻るだけでいい。思い出すだけでいい。何万年か何十万年か知らないが、人間が繰り返し行ってきた営みに、ほんの少しだけ戻るだけでいい。

それだけで自然は受け入れてくれるのだから。それだけでいいのだと思う。

合わせてどうぞm(__)m

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