僕は物忘れが極端に酷い。昔から知ってはいたが最近改めて再確認した。
ついこの間こんなことがあった。彼女のお家に行くときのことだ。身支度を整え、携帯品も鞄に入れる。さて、出かけようかと靴を履き、外に出て、ガレージにあるバイクに鍵を差し込んでみる。
うぬぬ?キーケースに入っているはずの彼女宅の合鍵がない!夜中の1時位なので彼女は既に寝ているだろう。合鍵が無いとどうもこうもない。しかも人の家の鍵を無くすとはえらいこっちゃと思い、30分くら家中を探しまわった後、3回は確認したはずの身につけていた鞄のポケットで発見した。
なんやそれは!でも良かった!さて出かけよう!そう思って自分の家の鍵を閉めようとしたら、今度は自宅の鍵が無い。自分の家に鍵かけられへんやないか。合鍵を探していた間は間違いなくキーケースの中にあったのに・・・。無い。これまた10分位探し回って見つかった。どこで見つけたかも、もはや記憶にございません。
※キーケースとはいえ、僕は鍵をキーケースのポケットに入れる(ジッパー付き)。キーケースにぶら下げておくと何かの拍子にぶら下げる金具ごと紛失する・・・という経験が何度となくあったから・・・。
さて、やっとかオイ、と思って出かけることにする。しかし、自分でもまさかとは思ってはいたけれども、思考の断片にはその可能性は確かにあったのだけれども。
バイクの鍵が・・・。あらへんやないか・・・。これはすぐに見つかったが、さすがにどうなっとんねんということで、一度立ち止まって考えることにする。
こういうことは生活の中で頻繁に起こる。つまり、あるべき所に、あるべき物が無いという現象。どう考えても僕の近くには小人さんがいる。小人さんが悪戯をするのだ。
今までは、自分の物忘れの酷さを納得させるお茶目な理由として「あぁ、小人さんが隠しちゃったなぁ。」と漠然とした考えに落ち着いていたのだが、鍵の一件でとうとう確信に変わった。奴らはいる!
物忘れの小人さん
小人さんはいる。物忘れの極端に酷い人はそんな風に思った経験は無いだろうか?
とは言え、社会通念上は小人さんなどいないということはさすがに知っている。いないとされている物についてということなので、もう少し小人さんの存在そのものを考えてみることにする。幾つか可能性を考えてみた。
可能性1:実際にいる
これはもう文字通り「実際にいる」のである。幻獣的な存在で見つける事こそ困難なものの、実存するという可能性だ。例えば、ダイオウイカなんてのはそういう類に入れてやってもいいように思う。伝説上の怪物だと思っていたが、マジでいた!!という感じで。
小人さんが少なくとも「いない」ということは証明されていないのだから(証明しようとした人もいないだろうが)いるのかもしれない。
物理的に小人さんが存在していて、その小人さんは物凄くかまってちゃんで、僕が何かに集中していたりすると、「オイラ(アタイ)、ここにいるよ!!君のそばにいつもいるよ!」というサインとして、必要とする物を隠してしまうのではないか。
隠された物を探している僕を見て、うふふと思っているに違いない!
小人さんはいる!
いや、少し気持ち悪いし、実際にいるということになってくると嫌だなこれは・・・。アカン感じのボーちゃんみたいになってるし。
小人さんはいる!
いずれにせよ、なんかムカつく顔してるな・・・。まぁいいか。
必要な時に消しゴムが見つからないのは、実際に存在する小人さんが「うしし」とはにかみながらどこかに持って行ってしまからなのだ。
そうだとするとアリエッティのような可愛らしい生物であることを心底願いたい。
可能性2:実在はしないが脳みその中にいる
実在しないということにしてみても、だからといって「いない」と断定するのも今ひとつ心に落ちない。小人さんは僕の脳みその中に住んでいると考えることもできる。
脳みその中に住んでいて、やっぱり寂しがり屋でかまってちゃんな小人さんは、僕の気を引こうとして悪戯をするのだ。脳みその中で。
いつも置いてあるはずの場所にあるべき物がない。小人さんが脳みその中の「あるべき物についての記憶」を隠してしまったのだ。あるいは「いつも置いてある場所」についての記憶をいじくってしまい、僕自信が勘違いを信じ込んでしまっているだけなのかもしれない。
脳みそを虫眼鏡でよぉく見てみるとこうなっているのかもしれない。
僕が持っていたはずの「物」や「場所」についての記憶を持ち去ってしまう。つまり脳内にあったはずの記憶や概念を隠してしまうのだ。
可能性3:実際にいるし、脳みその中にも住んでる
いずれにせよ、自分の認識において「◯◯が無くなった」という事象は現実に起きているということを慮ると、物理的に小人さんがちょこちょこ歩いていようが、脳みその中に半ば概念として住み着いていようが、同じことだ。
そう思うと、実際にいる(可能性1)と脳みその中にいる(可能性2)の区別などあって無いようなもので、どうでもいいということもできるが、それもちと乱暴な気もする。ということで、可能性1と可能性2は両方とも事実としてあるのかもしれないとも思う。
つまり、物理的な存在として実際にいるし、これに加えて、脳みその中にも存在しているという可能性(もう無茶苦茶やな・・・)。
一旦認めて解決策を考えてみる
兎にも角にも、物理的な小人さんであれ、概念としての小人さんであれ、小人さんはいるのである。と一旦認めておく。いくら注意を払っても物が無くなるという現象が身の回りで起こり過ぎているから。
別に構わない。「もぉ」と思いはするが、心底困るような事態はそこまで無い。
でもさすがに鍵の一件で真剣に考える必要性も感じた。例えば、海外でパスポートを隠されたりしてしまったらかなりエグい。可能性1(小人は実在する)だとするとパスポートを探すより小人を探してぶん殴ってしまいそうだ。
ということでどうすれば小人さんと仲良くやっていけるのか考えてみることにした。
常に同じ場所に特定の物を置く
こんなことで解決するようなら小人さんなど思い浮かべるわけもない。特定のものを特定の場所に置くという考えすら隠されてしまうのだから。これは使えそうにない。
物理的に身体に繋ぐ
街中で財布とズボンを紐でつないでいるのを目にすることがある。ファッションの要素が強いのだろうが、僕にとっては小人用として使えるかもしれない。これは存外うまくいく気がする。
物理的に小人さんが持って行こうとしても紐で繋がれていれば手繰っていけるし、脳内の小人さんが、繋いでいる物に関する記憶を隠してしまっても身体から離れないのなら無くなることはない。
ただ、「身体に繋ぐ」という考え自体を隠されてしまうと太刀打ち出来ない。しかも何かい?全てを身体に引っ付けるのかい?消しゴムも?紐だらけになる。絡まる。コケる。現実的ではない。
人に頼る
身の回りの、信頼できる人に委ねるというのが最も堅い選択肢のような気がしてきた。少なくとも自分自身に管理させるよりも物が無くなる確率は下がる。自信を持って言える。下がる!
ただ、先週彼女の家に財布を忘れてきた。一緒にお出かけする際は財布を彼女の鞄に入れてもらうのだが、そのまま僕は自分の鞄を持って帰宅し、財布は彼女の鞄の中だ。
ん?まてまて、確かに確率は下がる。でも、これはあれでないか?小人さんは周囲の人の脳みそからも何かを隠してしまうのか?
ん~~~~~!
(ノ`m´)ノ ~┻━┻ (/o\) オトーサンヤメテー!!
取り敢えず、「人に頼る」という方向で今しばらく様子を見てみることにしようと思う。
おわり
合わせてどうぞm(__)m