ツイッターのタイムラインと「大人の事情」を思ふ。エロスの感覚について。

4才年上の兄の部屋に忍び込み、いわゆる「エロ本」と呼ばれる雑誌に夢中になった時期があった。家から家族が出払った時に健全な思春期の男子が取る行動だ。突然誰かが帰宅するのではないかと研ぎ澄まされた五感に、心は妙な感覚を覚える。部屋に入ったことが兄にばれないように神経質とも言えるくらい、それがあった場所に、それがあった形で再現した。

兄の部屋への侵入は、スリルを伴うものであり、まだ見ぬ大人の世界を覗き見するようで、ワクワクしながらもどこかおっかなかった覚えがある。そう、冒険なのだと思う。まだ知らぬ、しかしこれから確実に経験するであろう大人の事情を知るための探求であり、リスクを伴う冒険なのだ。

ツイッターのTLでは次々と情報が流れてくる。流れてくるランダムな情報の中に大人の事情に関する画像もある。僕の爽やかなTLの中に時たま流れてくる大人の事情。

兄の部屋で覗き見たエロスは、今の自分がもはや感じることのできなくなった特殊な感覚を伴っていた。それは好奇心、スリル、罪悪感、畏怖、興奮、などをパレットの中で一色に混ぜ合わせたような表現しがたい感覚。こういう感覚を人は浪漫などと名付けるのかもしれない。

だが、ツイッターのTLに流れてくる「事情」はそんな生易しいものではない。直球である。豪速球である。丸見えである!!事情たちが流れ着いたのを見つけると、迷惑なのだがちょっとフガフガ喜んでいる自分も発見する。

高校時代にやっとこさっとこポケベルと呼ばれる通信機器が流行し始め、今や珍しくなった公衆電話に若者が列をなしていた時代に生きた僕にとって、デジタルとはいえこうも大人の事情が日常に流れ着く、しかも豪速球で流れ着くのは、何とも羨ましくもあり、浪漫の入り込む隙もないのかと今の男子を不憫に感じたりする。

当時の自分が求めても求めても、大人の事情に関する資料は限られていた。しかし今は求めたら求める分だけ手に入る。有名な女優のエロビデオを持っていたらその空間に存在する男子からの尊敬を独占でき(汚物を見るような女子からの眼差しまでも独占するのだが)、一躍ヒーローへと成り上がれた時代は遠い過去の話になったらしい。

大人になってみて、ツイッターのTLで偶然出会う大人の事情。うっとおしいのだが、暫く現れないと何か物寂しい気持ちにもなる。きっと完全に無くなったらそれを待ち焦がれるだろう。茹だるような夏の暑さにウンザリしていたはずなのに、夏が過ぎるとその思い出に漂い来夏を待ち焦がれるように。

現代の若男諸賢はどのようにあの豪速球を感じているのだろう?もはや日常であり当たり前すぎるので考えすらしないのかもしれない。やはり、羨ましく、そして同時に可哀想な気もする。とそんな風に僕たちが若男だった時代も、かつて青年だったおっさんたちは僕たちのことを見ていたのかもしれない。

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